SLOW WALKER

旅の記録あれこれ

Camino de Santiago 02 パリ〜バイヨンヌ

2015.07.28

6時半起床。昨晩レストランから戻った後眠気の限界を越え、そのまま意識を失ってしまったようだ。ぐっすり眠れたおかげで時差ボケを感じることなくすっきりと起きることができた。荷物をひとつずつパッキングしながら今日の予定を立てる。

 

9時に宿を出発。近くのバス停からバスに乗り、オステルリッツ駅へ向かった。

今夜の寝台電車でパリからバイヨンヌに向かうため、オステルリッツ駅にいらない荷物を預けることにしていた。ロッカーの大きさごとに値段が違い、一番小さいロッカー(5.5ユーロ)にバックパックとトレッキグシューズを詰め込んだ。

 

今日はパリ観光日。

友人からの情報と、自分の勘だけを頼りに行き当たりばったりでうろうろすることにした。右も左も東西南北、何ひとつわからない、知っている人もいない、どうしても行かなくちゃいけない場所もない。

なんて素敵なことだろう!とウキウキ、ルンルンと街へ繰り出した。

 

中世美術館、モンパルナスの丘、オルセー美術館をめぐり、最後はヨーロッパ写真美術館へ。

水曜日の今日は、17時以降は無料で入館できるらしい。

16時半過ぎに来てみるとすでにけっこうな列ができていた。列の一番うしろに並び5分ほど経ったころ、列の外にいたフランス人のおじいさんが私に向かってにっこり微笑みかけたかと思うと、おもむろに近づいてきた。

チケットが余っているから並ばずに入れてあげるよ、と言う。

たくさんの人が並んでいるのになぜわたしに?と訝しげに思ったけれど、余っているチケットは1枚らしく、1人で並んでいる人探していたという。ただ単に、東洋人が珍しかったのかもしれない。日本人と名乗るとオーバーリアクション。

あと10分もすれば無料になるけれどな、と思ったけれどおじいさんが言うには、妻が来られなくなって1枚余るし、ぜひぜひ使って欲しいとのこと。

人懐っこい顔で微笑まれうまく断ることができず、けっきょくチケットをもらうことにした。

おじいさんと列から出て入場口に行く。おじいさんは2枚のチケットを係員に出し、私にウィンク。欧米人はウィンクが上手だ。

しばらく一緒に鑑賞した。正直、美術館はひとりでゆっくり見たいし、ましてやさっき会ったばかりの知らない人だし、言葉も通じない。いつまで一緒にいなきゃいけないのだろう?と思っていた。

おじいさんはその間も執拗に、このチケットは事前にネットで予約していたけれど、妻が妊娠6ヶ月で(おなかが大きいジェスチャーをしていたから、妊娠していることを説明していたと思われる。奥さんはいったいいくつなのだろう?)来られなくなったとか(じゃあチケットはいつ買ったのだろう?)、

いつまでもチケットの話をするので、

「チケット代を払えってこと?」

と聞くと

「ウィ!」と。

今日は17時から無料で入館できる日だよと説明したら「oh!no!」と笑って、私にハグをして手を振りながら出口のほうへ消えた。

そのあとは一人で写真をゆっくり堪能。

 夜になりオステルリッツ駅に戻る。20時をすぎてもまだ空が明るい。

夜行列車を待つ大勢の人たちの間で列車を待つ。

案内板に私が乗る列車番号を探すが、待てども表示されない。はじめての列車、待合で案内板とにらめっこを続ける。

結局待っていた駅舎ではないホームだとわかり、慌てて移動することに。

21時すぎホームに列車がきた。

日本からインターネットで予約しておいたチケットを見せて無事乗車。21:40発。

生まれてはじめての寝台列車は、二等車三段ベッドの一番下。

天井が狭くて座っていられない。車内で食べようとスーパーマーケットで買っておいた夕飯を半分寝そべりながら食べた。

途中で何度も目を覚ましながらもたっぷりと7時間は眠ることができて体調も問題なし。それにしても寒い。明日からの巡礼中は大丈夫だろうか?

Camino de Santiago 01 日本〜パリ

2015.07.27

夕方には出発だというのに、いつものことながらギリギリまで準備が終わらない。

準備する時間は十分にあったはずなのになぜだろう。毎回同じことを繰り返していて嫌になるけれどしょうがない。飛行機は待ってくれない。

シェアハウスの同居人と愛猫に見送られ、17時45分出発。

 

厳選に厳選を重ね、選び抜かれた荷物が詰め込まれたバックパックを担ぐ。すでにパンパンのバッグは一眼レフカメラを入れて10キロほどだろか。

最寄り駅の改札をくぐった直後に忘れ物に気がつくが、丈夫な身体とパスポートさえあれば!と言い聞かせた。

京都駅から特急はるかに乗って関西国際空港へ向かう。電車の中で食べようと、スーパーで買っておいたお寿司に醤油が付いていなくて悲しかった。 

 

今回はイスタンブール航空の格安航空券でイスタンブールを経由しパリへの18時間の旅だ。航空会社のカウンターは長蛇の列だった。手持ちの現金10万円分をユーロに両替しておく。

定刻に出発。途中何度か目を覚まし、姿勢を変えながらも朝8時頃までよく眠れた。

イスタンブールに到着後はほとんど待ち時間なくパリ行きへ乗り換え。

乗り換えた飛行機でとなりに座ったパリ在住のおじさまに話しかけられ、パリのおすすめスポットなどを教えてもらう。久しぶりの英会話にとまどいながらも、ジェスチャーと地図でなんとか乗り切った。

 

朝10時、パリ着。はじめてのヨーロッパ。シャルル・ド・ゴール空港は想像していたパリのイメージと違い殺風景に感じた。

フランス語をひとつも勉強してこず「出口」という表記さえわからない。おそらくこれだろうと思われる文字を追って駅を目指す。駅に着き窓口のお姉さんに「どこまで?」と英語で聞かれ、とっさに「・・・ノートルダム。」と知っている言葉を答える。

 

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ノートルダム大聖堂駅に到着。駅から降りてすぐに大きな教会が見えた。きっと、あれがノートルダム大聖堂だろう。

着いてびっくり、ディズニーランド並みの長蛇の列。とはいっても他に行くところがあるわけでもないし、諦め半分で並んでみたら意外とすいすいと進み15分ほどで聖堂の中へ入ることができた。

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ノートルダム大聖堂の中は、想像していたよりもずっと広くて、暗くて、荘厳で、はじめてのヨーロッパのカトリック教会にカルチャーショックを受ける。

細部まで作り込まれた彫刻やステンドグラスのひとつひとつはいつまで見ていても飽きることはない。軽い散歩ぐらいの気分でパリ観光をはじめてしまったけど、パリ、すごいよ、パリ!と大興奮。

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次は友人に紹介してもらった、美しいステンドグラスが見られるという教会へ。

建物の脇にある閉所狭小には耐えられなさそうな細い螺旋階段を上がる。からだをかがめながら登ると、ふいに頭がどこか広い空間に突き出た。

十五面、千枚のステンドグラス。

そこはまるで万華鏡の中のような空間だった。

視界一面がキラキラとした光に包み込まれ、青と赤が混じり、厳かな紫色の光りになって見るものを圧倒する。

 

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教会を後にし、ルーブル美術館へ向かう。

あいにく休館日だったので、あの有名な三角形を外から眺めるだけで、コンコルド広場までお散歩。

空港からずっと背負い続けている背中のバックパックが肩に食い込む。巡礼がはじまれば一日に何時間もこれを背負って歩くんだなと、今はまだ他人事のように思う。 

 

夕方になり日本から予約しておいた宿に地下鉄で向かった。

時差ボケで疲れたからだにあついシャワーを浴び、何時間ぶりかに人心地つく。

同じ部屋の日本人女性が、近所にあるレストランに食事に行くというので一緒に行くことになった。

国語教師をしているという彼女は、なんと今日が誕生日だという。出会ったばかりできっと明日にはさようならをするのであろう二人でささやかなお祝いをした。

前菜の牡蠣も、メインのフォアグラも、赤ワインも最高に美味しくて、しあわせな気持ちになれた夜だった。

Camino de Santiago 00 スペイン巡礼 

「スペイン巡礼」という言葉を聞いたのは、ネパールでひとり旅をしていた時のことだった。

その時の私は、いつかヒマラヤの山々を歩いてみたいという夢を叶えたばかりで、残りの日数をゆっくり旅の思い出に浸ろうと、ポカラの湖が一望できる宿に宿泊していた。

日本人が多く泊まるそのドミトリーには、旅を始めたばかりの新婚夫婦から、世界二周目のベテランまで、世界一周中の旅行者がたくさんいた。

旅人同士の情報交換はとても楽しく、それぞれが思い出を語り合う。その中で聞いたのがスペイン巡礼だった。

巡礼の旅は、スペインの西にあるキリスト教徒の聖地に向かって約800キロメートルの道を約一ヶ月間かけて歩くという。

ただひたすら歩き続けるだけの旅。

もちろんそこにはうつくしい景色や美味しい食事、人との出会いも溢れていると思う。でもスペイン巡礼を教えてくれた彼は細かい話は一切せずにただ行ってよかったと心から思っていると言った。

わたしが実際にスペインへ行く決心をしたのはその2年後だけれど、この言葉を聞いた時にはもう心のどこかでスペイン巡礼に行くことを決めていたように思う。